らうんどあばうと

ラウンドでアバウトでランデブー

【2020/11】副題:動物園

僕は子供のころから地名というのがよく分からず、それがある領域を指していることがようやくある程度成長してから分かったのだが、これは少しおかしなことだ。

僕が言いたいこと「僕とあなた方は無論違う人間なのですからお互いの持つ意見を尊重してやっていこうじゃあありませんか」ではなく:「俺とおまえらは違う人間だ、そんなことは当り前で今更どうのこうの言うことじゃない、俺はおまえらの意見など尊重はしない、そして俺の意見もおまえらに尊重してもらわなくて結構、俺の邪魔立てだけはしてくれるな」

敷地内は禁煙だから門のすぐ外に出て煙草を吸う中学校の教師。

誰でもスマホを覗いてウェブにアクセスしており結局インターネットも現実そのものになっている。来年春でネットの契約更新月になるので、そこで解約して自宅にネット環境はもう置かないでおこうと思っていたが、こうなってしまったら多分そんなことができる状況ではなく結局また環境を置かざるをえないだろう。

ここ数年で白髪がかなり増えた。明りの強いトイレなんかの鏡で見ると少し驚く。

胃痛、頭痛。

深夜にようやく布団に入った時、明りを消した部屋の中で目を開け、そこから一番遠い距離にある天井の隅を眺める。もちろん暗くてよくは見えない。そのまま僕はだんだんと怖くなってくる。そして僕はそれを誰とも共有できないのだった。そのこともまた怖くなってくる。たとえ共有しようとしても、そもそも共有できるはずのないものであることがそのせいでさらに明白になるだけに違いない。何よりこの怖さは実現する怖さなのだ。

ブログの記事を消すのは簡単だ。まとめて選択して消去するだけ。それだけ。

まあさまざまな人がいて、中にはつまらないと感じる人もいる。模範的とよばれる人の場合にそう感じる傾向にあるけど、だいたい友達が多かったり、良好な人間関係を持っていたりする。僕にはそれが全く理解できないし、その人の何がいいのかさっぱりだが事実そうなっている。想定できることしか言わないし、たまに覗く姑息さはその気質によって真面目さとしか捉えられていない。そして、僕はそういう人に相対したとき自分が動物園の動物になっているような気になる。実際そうなのだ。僕はその人にとって見せ物で、僕を見てその感想を言えばいいだけなのだ。その人は僕との間に柵が設置されているものと思いこんでいる。さらには僕がその柵を飛び越えられないものと思っているから、僕がその人と同じ言葉で話すと驚きを隠せない表情を見せる。動物園の客である自分と見せ物である僕が同じ場所に立っていることがにわかには信じられないのだ。だから僕と話すとその人は当惑する、そして僕を再び見せ物に仕立て上げようと躍起になる。そういう態度が僕に対しては相応しいとして全く疑わない。僕はその人を人間のように扱おうとするが、それは拒まれるやり方である。だから僕はそもそもありはしない柵の中で寝そべってみたり餌を食べたりしてみて、それを柵の外にいる人に見せてやる。そうやって話題を提供できれば僕の無意味なお勤めは終わり。でもこんな関係がつまらなくないはずがない、無意味なんだから。

だが柵の外にいる人間は僕を見ているが、一方で僕は柵の外の人間を一瞥すらしていないことにはたして気付いているのだろうか?

聴きたい音楽は明白にあるのだが、探すという行為までになかなかならない。

Spritualizedの"So Long You Pretty Thing"を繰り返し聴いている。素晴らしい。

ああ胃が痛い。