らうんどあばうと

ラウンドでアバウトでランデブー

ハロウィン

さいころ、頭がごつごつしていた。それはもう、本当にごつごつしていた。頭蓋の右半分はでっぱっていて、左半分はその反対にへこんでいた。加えて、後ろは歪で、それは整備が全くなされていない田舎の道のようであった。そのために、小さい頃は年に数回、私の家を訪れていた親戚たちは私のことをじゃがいもちゃんと呼んだのであった。頭のかたちがごつごつしているからじゃがいも、という連想はその頃の私にとっても分かりやすいものであり、決していい意味では無かったのだが、当時は頭がごつごつであることがよくないことだとは理解しておらず、そのあだ名は私のお気に入りだった。だから、私はじゃがいもをよく食べた。肉じゃがが食卓に出された時も、肉も人参も玉葱も白滝も食べずに、しょうゆ味がよく染み込んだじゃがいもをひたすらに食べた。私の家で出される味噌汁の具は、いつもワカメと豆腐だった。味噌汁の具にも、じゃがいもを入れてほしいと私はねだった。それ以降、私の家の味噌汁にはワカメと豆腐と、じゃがいもが入るようになった。それぐらい、じゃがいもちゃんという呼ばれ方が好きだった。私のことをじゃがいもちゃんと呼んでくれる親戚たちが好きだった。私は身も心もじゃがいもちゃんになっていた。今から思えば不思議なくらいにじゃがいもに取り憑かれていたのだった。そして、小学校に入ってからも、友達からはじゃがいもちゃんと呼ばれた。友達には、私のことはじゃがいもちゃんと呼んでね、と言っていたからである。その通りにじゃがいもちゃんと呼んでくれる友達もいれば、それが長く言いにくかったのか、じゃがちゃんとか、いもちゃんなどと呼んでくれる友達もいた。小学生になった辺りから、私の家には父の知り合いという男が一人、頻繁に訪れるようになっていた。おそらく仕事の関係で、仕事が終わった父がときどき連れてくるのであった。父は自分の家であるのに、その男のほうを先に玄関に入れてやるのが常で、それが私にとっては面白くなかった。だから、私はその男が来ると、居間でテレビを見ていようが、飼っていた猫と遊んでいようが、私は自分の部屋に閉じこもり、そのまま寝てしまうのだった。父が帰ってくる時間には、私と母は晩御飯を済ませており、そうしたとしてもいつもより寝るのが早くなるくらいで、特段迷惑に感じたことは無かった。ある晩、私と母が晩御飯を食べているときに、父がその男と連れ立って、いつもより早く帰宅したことがあった。私は自分の部屋に戻るわけにも いかず、そのまま食べ続けるほかなかった。そして、父と男は居間に通じるドアを開けて、私たちの前に姿を現した。私と男は、お互いにその存在を知ってはいたが、そのときが初対面であった。母は男に、すみません、すぐに片づけますからなどと言っていたが、男は本当に気にしていないような顔で、いえ、大丈夫ですよと言った。私は、母が謝る必要はなく、むしろ男が謝るべきだと思った。さらに、磊落な振りをしているその男の、全く笑っていない目から傲岸さを感じ取った。男は、並んで食べていた私と母の真向いにそのまま座り、食べ終わるのを待つことにしたようだった。しかし、父は立ったままであった。私は、早く自分の部屋に戻りたくて、半分ぐらい食べていた晩御飯を、何もしゃべらず急いで食べ切った。そして、食事のあとはいつもそうしなさいと母に言われていたから、食器を台所に片づけてから居間に戻った。そのまま自分の部屋に入ってしまおうと思い、男の横を足早に通り過ぎようとしたが、男は立ち上がり、私の行く先を塞いだ。私は混乱し、なぜそうするのだと男の目に問いかけた。そして、男は私の体を足の先から頭までゆっくりと見た後、関西弁で、なんや嬢ちゃん、頭の形がかぼちゃみたいやなあとにやにや笑いながら言ったのだった。その言葉を聞いた瞬間、頭をバットか何かでがーんと殴られたみたいな衝撃を感じた。私の頭はじゃがいもであるのだ、決してかぼちゃではないのだ、そのような義憤に近い感情を抱いた。そこから先は、いつもと変わらなかった。私はそのまま自分の部屋に行って寝たし、男は父と酒盛りをした。私は中学に上がると、もうじゃがいもちゃんとは呼ばれなかった。私の頭は、この頃からじゃがいもでもかぼちゃでもなくなっていた。成長し、人並みに滑らかな頭蓋を手に入れたのだった。 私はこの時期になると懐古する。あのとき感じた衝撃で、私の頭から歪みがなくなったのかもしれない、と。最後に一つ付け加えておくと、私はかぼちゃが大人になった今でも苦手である。