らうんどあばうと

ラウンドでアバウトでランデブー

【2019/3/18】

人間は年齢を重ねて色々なことを知っていくうちに、感じていないふりをしてやり過ごすことが多くなってくる。そうすることの虚しさを知りながら、それでも、そうしなければ自分が駄目になることを経験的に理解しているためにそうするし、まずそうするための時間が無いためにもそうする。この方法に縋ってはいけない。この感情は一体何のために生まれたのか、今言った言葉は何を要因として発したのか、考えなければいけない。頭がおかしくなっても考えなければいけない。この感情が自分のものであることを、この言葉が自分のものであることを、確かめなければいけないからだ。それが確かめられないのならば、僕の中に自己など存在していないことになる。すなわち、僕にとって僕は傍観者でしかない事を示す。違う。今ここにいるのは完全に僕で、僕の気持ちも全部僕のもので、僕が言ったことが僕の口から離れたとしても僕のものだ。だから確かめなければいけない。

楽しいが嘘であるならば、悲しいも嘘だ。だから、死にたいという気持ちを抑えきれなくなったとしてそれで死ぬのは誤っている。まやかしの感情で死ぬのはそれを見抜けなかったから。最後くらい正しく死にたいでしょう。嘘で死ぬんじゃなくて本当の理由で死にたいでしょう。それじゃあ本当の理由というものはあるのか、これは全うな疑問だ。それは分からない。申し訳ないけれど、分からない。僕は無責任だ。とにかく、嘘で満たされたままで進んでゆくか、本当を探して嘘で溢れながら進んでゆくか、このどちらかしかない。これは悲しい。そしてこの悲しいも嘘だ。馬鹿らしくなってちょっと楽しくなるけれど、これも嘘だ。