らうんどあばうと

ラウンドでアバウトでランデブー

主婦、暇つぶし、鰹節。

人間の子供はなんて弱いのだろう。歩けるようになるまでひどく時間がかかるし、その間はただ寝ているだけ。街に出て、スーツを着たサラリーマン、友達数人で阿呆みたいに騒いでる学生、すました顔で高級なのであろう衣服を纏っているご婦人その他を見ていると、これらの人間にもそのような時期があったのだと、ひどく感慨深くなる。その反対に、私の横で眠っているこの坊やも、時間が経ってしまえば立ち上がり、喋り、人間として生きていくのだと思うと、またしても感慨深くなってしまうのである。

ええ、いや、私だってもちろん人間だわ。私だって人間として生きてきたし、生きている。なんでって、人間以外の生き物が人間の子供を産むことなんてできっこないのだから。じゃあ、なぜ、いやに分析めいたことを言っているのかって?ふふ、だって私、牛だったんですもの。私、牛だったの。牛の子供は、生まれたばかりでも歩けるのよ、安心しきった顔でぐっすりと眠っているこの子とは違ってね。だから、さっきみたいなことをついつい嘆いてしまうの。まあ、私の場合は野生じゃなくて家畜の乳牛だったから、あまり大仰なことは言えないわね。今思えば、野生の動物には同情するわ。だって、あの世界はその名の通りの弱肉強食。肉をちぎられて食われながら息絶えるなんて御免だわ。あの時間って、食われる側はどういう気持ちなのかしら?野生を記憶がある人間がいるのなら会って聞いてみたいわ。でも、私も結局、屠殺されたのだけどね。ああ、この話はしたくないわ。思い出したくないもの。ええと、そんなことは別にどうでもいいわ。ねえ、私が頭のおかしな人間だと思っていない?裏を少し覗いてみれば狂気だらけのこの世間に、頭の中を弄りまわされた人間だと思っていない?でもね、よく考えてみてほしいの。そう、理屈でね。この子が愛しいのは、私の子供だから。この子の体が暖かいのは、生きているから。いやね、これは理屈とは言えないわ。何が言いたいかって、ええと、それは、結果には何かしらの理由があるってこと。ほっぺを抓ると痛くなるくらいに、当然のことだわ。死ぬことが結果だとしたら、その理由は生きたから。そして、実は、私以外の人間は知らないみたいなのだけれど、その逆に死んだら生きるの。この場合は、死ぬことが理由で生きることが結果。生き死には理屈じゃないなんて信じている人間もいるらしいけど、それは私に言わせればただのバカね。そう、私たち命をもっているものは、生きて死んで終わりじゃないの、死んだらまた生きるの。これこそが、たったひとつの真理。よーく考えてみれば、これは当たり前のことだと思わない?だって、生きて死ぬだけじゃ美しくないわ。この世界を見てごらんなさいよ、美しいものだけが本当で、そうじゃないものは全部偽物なのよ。

とにかく、そういうこと。私が牛だったように、我が物顔で歩き回っている人間一人一人が、何者かであったのよ。だから、私の周りの人間が前はどんな生き物だったのかなって考えてみるのが癖になっているの。今日は、それを書いてみようと思う。あっちからしたら、勝手にそんなことをされてたまったもんじゃないかもしれないけど。

私たち家族は郊外の一軒家に住んでいるんだけど、この辺りは新興住宅地で、子持ちの夫婦が多いの。私たちも、そのひとつね。そして、はす向かいにも、お上品そうな夫婦が3歳くらいの娘さんと一緒に住んでいる。私たち夫婦がここに引っ越してきた時からよくしてくださって、奥さんとは結構仲がいいの。なんていうの、友達と友人の間ぐらいの良い距離感があって、ずっと仲良くできる気がするわ。そうね、はじめにこのご夫婦がどんな生き物だったのか考えましょう。ご亭主のことは実はあんまりよく知らないの、大手電機メーカーに勤めていらっしゃることは奥さんから聞いているのだけど、朝は早くて帰りは遅いみたいで、休日に奥さんを訪ねて行ったときに少し話すぐらい。でも、なんとなく分かるわ。彼はコウテイペンギンね。コウテイペンギンのオスは、2か月間ほどんど何も食べずにメスが産んだ卵を温めるの。娘にそそぐ彼の笑顔は、それぐらいの健気さをもってると私は思うわ。それで奥さんはどうかしら…奥さんはやっぱり、猫かな。それも三毛猫かな。人懐こいと思えば、急にそっけなかったり。私が猫好きだから、奥さんとも相性が良いのね。牛と猫ってなんとなく仲良くなりそうだと思わない?

私の夫はどうかしら。うーん、うまく言い表せない。結婚までしたのに理解のできない部分が多すぎるわ。彼の行動や話し方に、ときどきイライラしちゃうのよね。もしかしたら、彼は地球の動物じゃないかもしれない。そうすると、私には理解できないことばかりっていうのが納得できる。宇宙由来の何かだわ。きっと、タコみたいなグネグネした宇宙生物だったんだわ。宇宙生物と牛の間に生まれたこの子がなんだか不憫になってきたわ。地球でうまくやっていけるかしら。