らうんどあばうと

ラウンドでアバウトでランデブー

【小説】街灯

汚い靴を履いた中年の女。磨き上げた革靴の男。分類することは容易。雨が傘を打つ。水流に追われるように坂を下る。影の無い朝。地下鉄には不愉快な音を残しながら走り抜ける連中。目的地を待つ連中。今や目的地は辿り着くものではなくなった。混ざり合い拡散する気怠い臭気。袖に張り付いた動物の毛。化粧に滲む皮脂。芝居がかった視線。小さな騒音。眉間に刻まれた皺。ここにあるのは堪らない嫌悪。吐出したと思えばすぐに飲込む。限界なのだ。大切なことは何だろう。

雨は去った。街は放射状に広がっている。舞台が交差点の中央に見出される。合図が出されるまでは邪魔をしてはいけない、彼は主役を奪われることを何より嫌うからだ。凡そ知り得ることは知ろうとしなければならない。陽光はまだ遠慮をしている。さあ、次は何だろう。次に何が来るかは既に分かっていることだ。知らないふりは役に立つ。既に始まっている。語ることが出来るだろうか。間隙を縫って届いた風が身体に纏わる。街には様々なものが溢れている。ここに秩序は無いが、矛盾も無い。光も音も乱反射させるてらてらとした不気味な滲みつきにもとっておきの秘密があるのだ。一切の目を合わさないようにしよう。色に中てられるから。峙ったひとつひとつを丁寧に掻い潜って歩こう。静かに。そう、静かに。上手だ。空にも見つからないように小さく、小さく。気を付けなければならないことは山のように膨大に積み重なっている。麓は腐り、頂きには雪が覆い被さるほどに膨大だ。この一日で何をしようか。何をするにも貧しいように思えた。握りしめた左手を開くことも大きな仕事のように思えた。常に心を検証するように努めよう。名付けることのできない空白があった。呼びかれば残響だけが寂寞として吸い込まれていった。そこでは言葉は意味を持たないようだった。敗北感のようではあったが栄光や賛美のようでもあり、そして慕情のようでもあった。それは正体の知れぬものではあったが、何かの兆しなのだということだけは分かった。さて一体何の兆しなのかは別段重要なことではないらしかった。とにかく歩こうと思った。置き去りにされていた身体が徐々に戻ってくるのを感じた。激しい焦燥もいっとき感じたが、とにかく歩こうと思った。傘は邪魔なだけになったから日向に立て掛けることにした。地面に擦れた石突が乾いた音を立てたが、街には何も聞こえていないようだった。常に心を検証するように努めよう。

想い出は天体の柔らかな瞬きや早朝の湖の静けさの中でひっそりと瞳を閉じて佇んでいるものではなく、地面に無様に打ち捨てられているものだと知ったのは随分前のことである。大して意味の無い知識だと知ったのはそれからずっと先のことである。もし棄てなければならないものがあるなら街を出る前に棄ておこう。街全体が屑籠のように思えたし、事実そうだった。ここはうってつけの場所だ。棄てても拾われることは決してない。棄てなければならないもの。何があっただろうか。あることには違いないがそれが何なのか把捉できていないようだった。このような場合、少しでもくすんでいる場合、少しでも霞んでいる場合、少しでも模糊で少しでも曖昧な場合には、その先が判然と映るようになるまで海辺の砂粒のひとつだろうと除去することを怠ってはならない。よしんば絶望の一片が見えているとしても怠る理由にはならない。除去するために停留することは良いことだ。目を閉じて考えることも良い。眼差しを遮る全てを棄てよう。まず人間を、次に同情を棄てよう。一方は既によくよく考えられたことであるから今となっては全く重要ではなく、もう一方は心が編み出すあらゆる感情の中で最も低劣なものだから。個であろうと欲しよう。やらなければならない仕事はこれらの中には存在しないと思った。それは明白だった。そして最後には。ゆるやかに街は遠ざかっていく。名残惜しいとは思わなかった。比喩を棄てよう。ここはどこだろう。そう思うことがある。時間は連なりながらも互いに疎通しているように振舞っているが、その実独立していて全体を見渡せば恐らくは醜悪極まりない不格好なだけの詮方無い空虚なのだろう。ここはどこだろう。想念が音も立てずに弾け、そのような気持ちにふいに支配されることがある。感傷の仕業に他ならないと思った。感傷には用心しなければならない。感傷も空虚だから。甘美なだけの空虚だから。事実これまで常に感傷の帳の中にいなかっただろうか。そうとは言えないだろうか。表出してきた全ては感傷ではなかっただろうか。そうとは言えないだろうか。感傷さえをもこの街に置いておこう。そして。ああ。何もなくなったなどとは考えないようにしよう。今も歩いている。これが何よりも重要なことのように考える。結局、重要なことは単純なことだと考える。あの時のように思えるだろうか。余韻のように残された徒雲が穏やかに消失していったあの朝のように。足音のひとつひとつに自らを感じた。ひとつ、ひとつ。新しいひとつが無警戒に軽やかに鳴れば、古いひとつはたちまちに生命を失った。その度に自らは生まれ変わったが、自らのままだった。煩わしい喧噪にも自らを感じたことは存外だったが、そういうことなのだと思った。下り坂の緩い傾斜にも、足元のアスファルトにも、隣り合った家屋の薄暗い隙間にも自らを感じた。規則的に列せられただけの痩せた街路樹は嘘の象徴だったが、微風に揺れる瞬間だけは鮮やかさを取り戻し、古代の記憶の断片を内証で見せてくれた。風はそのままに色づき、命のかけらに姿を変えて翔けていった。木葉の一瞬の輝きの中にも、何一つ失われていない記憶の中にも自らはいた。まだ余熱を残す茫漠の部屋に残されたいつもの椅子。そこにも自らはいるようだった。だんだんと境界は薄れていった。輪郭がとろけるように朧になっていった。しかしそこまでだった。地下鉄へと潜る入口にも自らは感じられたが、一段上に跨げばもう何もかもが空白でどうしようもなかった。エスカレーターから振り返って見た見慣れた景色はいつも通りに無骨で、ゆっくりと高度を上げていき、ついには見えなくなった。部分は全体の射影。全てを垣間見た。しかし二度と見ることはないだろう。そう思った。そう思ったのである。

裏街には上ずった高揚は無く、廉潔に乾いていた。吹きすさぶ風は熱を奪い、足跡を掠い、過去の累積を時間の終着その一点に集めようと試みている。薄れた白線を踏み、落ち葉を踏む、儚い嘆きの声はたまゆら浮くだけですぐに力尽きた。足下は悲歎が残した懊悩で溢れていた。薄い膜となってどうやら地表をくまなく覆っているようだった。蒸発を見た。澱みを見た。陽射しは吸収され、でろでろとした塊になり時間をかけて溶けていった。そのせいで油が浮いたような汚辱が屈折と反射を複雑にしていた。遠くを見ようと思った。平坦な歩道の先に落ちていたのは灰色の手袋だった。枝から枝へと飛び移る雀たちは何を見ているだろうかと考えることに見出されるものがあるだろうか。全てが仮称だと考える。実際それが正しいことだと思った。全てが仮称だと考える。それを正しいことと考える。空無でない仮称だと。ああ、これを何と呼ぼうか。何と名付けようものか。一度名付けてしまえばそれで終わってしまうのだろう。進歩しているように思えてもその実退歩していることは有り得るのだ。そしてそれに最後まで気が付かないこともまた有り得るのだ。都度に取り出してみても何一つ違わない言葉になったとして、それがどうして虚しい繰り返しに為り得るだろうか。そうだろう。それがどうして虚しい繰り返しに為り得るだろう。

何もかもは言葉遊びに過ぎぬのであった。不安は静穏に乱則に身体を伝ってきていた。宥めるように円かに、長閑に伝っていた。整理された区画がその支配をより確かなものにするのを感じた。そしてこう思う……。確かにこの一歩一歩が老いである。老いることは総合である。老いることは世界に馴致していくことで好ましいことである。分かりやすいことは好ましいからである。絶望は歩みに対する唯一の対抗であると知った。闇に瞬く光点は如何に封じ込められようと光で在り続けることができるが、この目にとってはそれを見つめ続けることこそが絶望である。一点の光を耽視することは視力を喪失することの確約である。そして正に今も恐怖はじりじりと足下から迫り上がっている最中で、頑なに振り払おうとしないのは恐怖は絶望ではないからである。恐怖にとっても老いることは実に逃れ得ないことであって、恐怖は寧ろ老いることによって軌跡を失い洗練を形成していくのである。その変化の早さは全く驚くほどで、これほどに変化を繰り返すものは無二であろうとそこに生命を知るのである。恐怖は絶望ではない。不安にとってもまた同様で、そのうちに古びてしまって動きが緩慢でぎこちなくなるのは避けられ得ないのである。恐怖は不安の支配を強めようとする一方で不安は恐怖を引き上げようと苦心し、互いに交わることで絶望へと姿を変えようと足掻くがそれは不可能なことである。真に逆だからである。ああ、この歩みもそういうことなのではないかと考える。この歩みにおいて絶望を経験することは無いと疑心しない。それも絶望ではないのである。そしてこうも思う……。大した仕掛けでもないと分って落胆したこと、言葉と言葉との接続が一体上手く出来ていないかもしれないこと、有限が無限を持ったとて触れることすらできないこと、内包されるものは内包できないこと、細大ひとつすら欠けることなく表せはできるはずがないこと、あるものは対のものによってでしか表されないこと、形にしてみればひどく歪で破壊の衝動を与えても無くなりはしないこと、希望が力強く踏みつけた足跡を追い求めているのではなく影も見えない希望に引き摺られていること、そのうちに希望は擦り切れるがまた別の希望が役割を取って代るだけだということ、希望を掴むことはないこと、生は余す所なく生なのではなく既に死が同居していると考えても一向に差し支えないこと、要約されること、道端の枯草にも種名ではない授けられた名があること、想像力の欠乏は諦念によってでしか補完されないこと、呼吸が疎らになって不安が吐息に感応すること、恐怖はまた揺動となって循環した後に共鳴すること、消失は確かに内部でのみ起こり得るもので再再失い続けていること、消失を生成から失滅まで見届ける過程それ自体美しいこと、回帰は自主的な退化であること、もう充分に疲れていること、どれほど息を長く保とうと暗く耀うあの織に抱擁されるまでには沈潜できないこと、極端な主観は客観であること、無為なことは何一つしまいとして抑々それすらがそうであること、押し並べてあらゆるものは語らない方がずっと増しだということ、もう何も言うまいと決意してすぐさまに幻滅すること、ひとつひとつ全てが決定的だと思うこと、それを悲しいとは思わないこと……。

夜の天空には月が輝いていて、周辺には誘導される陰影がたなびいていた。月光は霧であってこのような夜には本来何も見えなくなるはずであるが、様々なものをまだ見ることが出来るのは個々が持つ月への羨望が弱弱しく放光しているからなのだった。今日に何を見ただろう。大通りを結ぶ橋の欄干で歩くのを止めて夕焼けを見た。眼下に広がる川面は遥遠に水平線を成し、直線状に夕影を映し出していた。光がきらやかに宙に浮いてはすぐに消えていく、そのような現象が無数に起きていた。光は果てるまで水面で跳ね続け、移ろう波間に飲み込まれて調和した。夜が青暗い空を縁から造り変えるのをそのせいで鳴り響く重苦しい音を感じながら見た。夕景は昼が夜の重さに耐えきれず頽れる瞬間に抱く憧憬だからこそ美しいのだった。そして月は予感として現れた。そのようなことを見た。そのようなことを見たのだった。大切なことは、これら全てが比喩ではないことであった。それが何より大切なことであった。開けた道に出た。街灯が等間隔で立ち並んでいた。灯りに向かっていくにつれて闇に紛れていた自分の影は姿態を現し、灯りの真下で自らに重なった。そして影は前方に伸び、先端を闇に溶かした。それを繰り返しながら歩いた。繰り返そうと思った。街灯はまだ続いていた。