らうんどあばうと

ラウンドでアバウトでランデブー

【CD感想】ヒバリのこころ / スピッツ

インディーズのころのアルバムで、現在では入手困難になっています。このアルバムだけでしか聴けないのは『353号線のうた』と『死にもの狂いのカゲロウを見ていた』の2曲だけですが、『ヒバリのこころ』と『恋のうた』もそれぞれ少々の歌詞とアレンジの違いがあります。『353号線のうた』と『死にもの狂いのカゲロウを見ていた』の2曲どちらとも、スピッツのほかの曲とは雰囲気が異なるものという印象を受けます。僕はたまたまレンタルで聴けたのですが、この2曲のためにどうしても聴いた方がいいというアルバムでもない気がします。


1.ヒバリのこころ ★★★★☆

『みんな元に戻っていく』のみんながすぐにと変わっています。あと、少しコーラスがありますね。マサムネさん、今と比べると初期の頃は一文字一文字区切ったような歌い方をしています。


2.トゲトゲの木 ★★★★★

『花鳥風月』と同じだと思われます。


3.353号線のうた ★★★★☆

変に快活なコーラスがあってリズミカルな歌い方なのに、なんとなく奇妙な歌詞でポップなんだかなんなのかよくわからない曲です。


4.恋のうた ★★★★★

『名前をつけてやる』バージョンとの違いは結構分りやすいです。


5.おっぱい ★★★★★

『花鳥風月』とほとんど同じだと思われます。


6.死にもの狂いのカゲロウを見ていた ★★★★☆

最後のゆっくりゆっくり盛り上がっていってこと切れるような終わり方はほかの曲にはないようなものです。


【詩】衰弱

僕はこういう場所にいる。外はいつでも人がいる、深夜であっても人はすぐに見つけられて、人がいない時間をつくらないために交替制をとっているかのようである。それに音がしない時間もない。話し声や、車の音、電車の音もある。規則に従って一定の間隔で発されるものもあるが、不規則で気分次第といったようなものの方が多くある。音はあまりに多く、聞くものの耳に入りきらない音もある。行き先を失った音はどこかに身を潜めて、聞く耳の方に余裕があるようになったらまた行けばいいと考える。音は多いが聞く方も多く、それほど待たされることはない。例えばコンクリートの道にできた小さな欠けや隙間の中に潜んでその機会を待っている。音は隙間の中でほかの音と混じり、凶器のようにかん高い音になることがある。僕はそのような音を聞いたことがある。それは左の耳だけを狙ってきた。僕はそれからしばらく右の耳だけで音に対峙するしかなかった。この場所に住めばこういう危険性がある。僕はここではよそ者ということになる。ここで生まれてここを離れることがなかったもの、あるいは似たような場所で生まれ育ったものは音に敏感でない。それどころか自分の聞きたいものだけを聞く能力を持っているとさえ思われる。ひどく不快な音がしても全く意に介さないでいられる。僕と同じように音に反応するものはよそ者であることになる。しかし僕たちはよそ者であることは同じだが、同じようなよそ者ではない。僕はこの場所の誰についても知らない。僕が住んでいる国は島国で、僕はこのうるさい通りに面した建物の三階に住んでいる。僕は音に神経質になって、こまごまとした音にも気をとられてしまう。ひとつも聞き逃さないようにと視覚や触覚も動員して聴覚を研ぎ澄ませる。聞いたことのない音があると、どこからの音なのかを判明させないといけないような気持ちになる。日のうちに何度か床を叩いているような音がするが、僕はこの音の出所をまだ掴めていない。水滴が床に落ちるときにできる音にも似ている。音のする時間は決まっていないが、リズムは非常に一定していて人間が出しているものとは思えない。僕はこの音が聞こえはじめると集中してどこからの音なのかを探ろうとする。しかしまだ分っていない。目は瞼を閉じれば役目を一切果たせなくなるが、耳は瞼のようなものを持たない。僕はそのような進化があっても良かったのではないかと思う。音を聞かないようにするためにわざわざ手を耳に持っていかなくても済むような進化を。そうなっていないのだから多数決で却下されたのだろう。僕はこの場所で今までの全ての繋がりを断ったようにして時間を過ごしている。自分がたてる音にも過敏になって、まるで小さなごみ、何倍にも拡大しないと見えないごみのようである。僕はごみである。占める容積があまりに小さいので、失くなったとしても誰も埋め合わせをしようとすら考えないだろう。ごみである僕はごみとしての目線を持っている。だから僕は全部の人間がごみのようであることを知っている、それぞれの容積に大小はあるがこれはごみとしての違いであってごみであることの違いにはならないことを知っている。僕たちを別するのはごみであるかどうかではなく、ごみであることに気付くかどうかである。そして気付いたものはごみで、気付かないものはごみでないようにいられる。ごみでないものはごみであるものに対して軽蔑することができる。ごみは処分されるだけであって、丁重に扱う必要はない。ただし分別はしてくれる。燃えるごみ、燃えないごみ、ごみだがまだつかいようがあるごみ、本当に使い道がなくて今すぐにでも処分しないと有害になるごみ。細かく分別するときりがない。僕は自分がどういうごみに分けられているか知らないが、どのようなものであっても同じように処分されるのだから知ろうとは考えない。僕自身がごみであることに気付き、その後はじめて鏡を見たときにはこれまで感じたことがないほどの戦慄を覚えた。僕の髪は長いものや短いものが乱雑に生えていた。生えているのではなく植えつけられているようで、成長は感じられず、あとは抜け落ちていくだけのようであった。それに肌もだった。滅紫の色をした染みが頬や額にいくつも浮き出ていた。染みとそうでない部分の区別は難しく、顔の全体が染みであるかと思わされた。そして僕が最後に見たのは目だった。最も戦慄したのもこの目だった。僕の目は充血しきっていて、幾通りにも分裂した毛細血管が黒眼を目指して行き渡っていた。また、眼球も不自然だった。あれはどういうことだったろう。僕の眼球は透明な薄い膜で覆われていた。目をぎょろぎょろと動かすと膜が眼球全体に及んでいることが分った。僕が見ることができるのはこの膜に写ったものだけということになるのだろう。じきに目が見えなくなるだろうと思った。そして叫び出しそうになるのを抑えながら僕は鏡の前から逃げ去った。このときの僕にはこうして逃げることか、そのまま鏡の中の僕と見つめあってどちらかが死ぬのを待つことかしかできなかっただろう。鏡の中の僕が死ぬためには僕の方から先に死ななければいけなかっただろう。僕はそれから鏡を見ていない。実はもう目は見えなくなっていて今見えているものは膜の内側にある残像なのかもしれない。そうだとすれば、この残像を全部見てしまったら僕は本当に目が見えなくなるだろう。それに僕を錯乱させようとしてくるこの音も外からの音ではないのかもしれない。鼓膜が悪戯としてひとりでに振動しているだけなのかもしれない。いずれにしても僕はもう遠くまで見えなくなったし、遠くの音も聞こえなくなった。今の僕には昔の人間が世界をどのように考えていたから分りそうである。ひとりの人間が知りうることは非常に限定的だっただろう。山しか知らないものは海を知らなかっただろうし、海しか知らないものは山を知らなかっただろう。空はどこでも見られただろうが、暗くなってから現れる光点ひとつひとつが想像できないほどに大きいとは思わなかっただろう。その時代の世界はさまざまな世界が同居した世界だった。どのような世界も許された。僕はその世界を羨ましいと思う。僕がその世界にあったら知らないことではなく知っていることを好んでいられただろう。僕たちの世界もそのうちに昔の世界になっていくことは当然である。僕たちの世界を羨ましいと思うものが出てくるだろうか。もしいたとしてもそれは僕のようなごみの目に写される世界ではないだろう。だが僕は、この世界の中でごみとして見て聞いているのである。それに僕は怯えることだってある。ごみである僕にも怯えることがあるのである。全身から玉のような汗を噴き出して嘔吐したさを我慢できなくて仕方ないことがあるのである。僕はこの怯えのような貧しさが本物の貧しさであると信じよう。毎日が変わりばえないからと言って満たされたものが暇潰しのためにつくりあげた貧しさではないと僕は考えるのである。そのような貧しさであれば最後まで使いきれるようにと調整された貧しさであるはずで、しかしぼくの貧しさはそうではないのである。そして僕は死んだように生きているのではないとも信じよう。死ぬのを恐れているために、それならば生きながら死んでいけば恐怖を軽減することができると思っているものとは違うのだと。こうして熱を帯びて動いている僕は死の予感を持っておらず、少なくとも生きているうちに死ぬことはないだろうと。僕はこのように信じよう。もはや模倣は何ひとつなく、誰の助力もなしで信じよう。僕はそう信じることを示そう。

【2020/6】副題:フリ

僕たちは日々の空白を金や保身や快楽、誇大した自己で塗りつぶしてもう全部忘れて認知症患者のように過ごしている、そうだね?

物事には前座としてのフリがある。フリの段階で現在の状況を共通の認識にさせることではじめてその後のボケが成立する。フリを人間関係の構築にも無意識に使う人間がいる。それは自分の弱みを最初に敢えて見せる連中である。自分の弱みを見せることで相手の警戒心を解くことが目的である。実際その弱みはこうやって見せびらかすための弱みであって本人にとっては恥ずかしい事では無い。こういうフリをされるのに慣れていない人間は良い印象を抱くことになる。自分を開示してもらえたことはすなわちこちらへの安心感を掲示していることになるからである。しかし実のところ何も掲示されていないのである。見せられた弱みは意図的に形成されたものである。そんな低級なフリじゃボケも全然笑えないし面白くもない。この種の人間の周りにいる人間も同種でつまらない。

【CD感想】How To Dismantle An Atomic Bomb / U2

尖ったサウンドが目立つ危なっかしいロックンロールです。かっこいいです。


1.Vertigo ★★★★★


2.Miracle Drug ★★★★☆


3.Sometimes You Can't Make It On Your Own ★★★★☆


4.Love And Peace Or Else ★★★☆☆


5.City Of Binding Lights ★★★★★


6.All Because Of You ★★★☆☆


7.Man And a Woman ★★★☆☆


8.Crumbs From Your Table ★★★★☆


9.One Step Closer ★★★☆


10.Original Of The Species ★★★★★


11.Yahweh ★★★★☆


How to Dismantle An Atomic Bomb

How to Dismantle An Atomic Bomb

  • アーティスト:U2
  • 発売日: 2004/11/23
  • メディア: CD


【CD感想】OK Computer / Radiohead

かなり好きなアルバム。重苦しく重厚な空気を醸していて、全体的に浮遊感があるアルバムです。曖昧で重なりのある音像の曲が多いのがいいです。潜水を繰り返しているような息苦しさも感じるものの、複雑で美しいメロディは陶然となれます。いわゆる捨て曲と呼ばれるものがなく、単調さがひとつも見受けられずはじめからおわりまで染み入る余韻に浸れます。唯一『Fitter Happier』は通り過ぎてしまいますが、この曲において重要なのは歌詞でしょう、そう思うとこの曲もアルバムにおいては単に前半と後半の繋ぎという意味に留まらず重要な曲に感じられます。


1.Airbag ★★★★★


2.Paranoid Android ★★★★★

複雑な構成。


3.Subterranean Homesick Alien ★★★★☆


4.Exit Music (For a Film) ★★★☆☆


5.Let Down ★★★★★

あらゆる音が美麗に絡み合っていて優美です。


6.Karma Police ★★★★★

後半のコーラスが好き。


7.Fitter Happier ★★★☆☆


8.Electioneering ★★★☆☆


9.Climbing Up the Walls ★★★★★

ノイジーサウンドと叫び声で終わって次の『No Suprises』に繋がるのがいいです。


10.No Suprises ★★★★★

アルバム中随一の清廉なメロディ。


11.Lucky ★★★☆☆


12.The Tourist ★★★★★

無理やり引き伸ばされたように聴こえる響くギターがいいです。



【詩】パン人間

俺はパン人間だ。そうじゃないと言う人間もいるだろうが俺はパン人間だ。俺が俺のことをパン人間だと決めたからパン人間なのか、それともそれより前から俺はパン人間なのかは知らない。俺はパン人間でほかの何でもないのだから、パン人間じゃない俺について何も知っていないのはもちろんのことだ。俺はパン人間だから、よくある形の人間じゃない。しかしそう思ってくれても構わない。手と足があって頭がある、そう思ってくれても構わない。手と足があって頭がある、そう思ってくれても支障が出ることはない。便宜上のことではあるが。俺がパン人間であるようにさまざまな人間がいることもたしかだ。
例えば、梅の種人間を知っている。ぶよぶよした梅肉は土で汚されていて、一部分が大きくめくれあがっている。そこには乾いた脳髄のような種が見えていて見るものの気分をひどく害する。歩くごとにからからと音がするのは、発芽を迎えることなく死んだ種子が外殻とぶつかるからだ。これほどに奇怪な見た目をしているのに梅の種人間に気付くものはごく少数に留まっている。それは何人間でもない人間があまりに多いからだと俺は考える。こいつらは不思議さの前では緘黙に徹して疑問を呈することをしない。こいつらが立っている舞台には血が流れていない。はじまりを知らないし終りも知らない。だがこいつらは忘れやすく延延と同じ役回りをくりかえしている。区別のつかない符牒をつくることにしか精を出さない。こいつらの耳は外の音を聞くためにあって、声は台本に書かれてあることを発するためにある。梅の種人間のようなものがつくる音を聞くためではなく、話しかけるためではない。こういう人間の額に刻まれた皺は贋作のような出来になる。内からのものではないからだ。
そして俺はパン人間だ。パン人間の俺にはしなくちゃならんことがある。ちぎってちぎってちぎらなくちゃならん。まずは両脚をちぎって腕をちぎってさいごには頭をちぎらなくちゃならん。それで頭を虚ろに垂れるようになったらもう俺はパン人間じゃなくなって完成する。

【2020/5】副題:就活

基本的に毎月書くこともとくに無いのでこれからは副題を設定して少々それについても書くことにすることになるかもしれない。まあ多分僕はこのまま年を取り続けるだろうがだんだん社会と疎遠になっていくだろうと思う。それは仕方のないことだと思う。常識がわからなくなってくるだろう。そもそも何が原因なのかもわからないだろう。間違ってしまったとは思わない。社会はこちら側とあちら側に分けられるようにできていて、僕が単にこちら側というだけなのであるから。できると思っていたことができなくなってくる。

僕のような人間は当然就活と相性がわるい。僕はまず自己アピールができない。面接の場でも自分ができないことの方を強く出してしまうのだが、これがまず就活においてはよくない。それに僕はへらへらしている。これもよくない。やる気がない人間と見なされる。実際そうである。言いたくないことも多すぎる。変に隠すと面接全体の中で不整合になって面接官が違和感を持つようになる。まあたしかに僕が落とされるのは正当なことだと思うけどもね。就活を楽しそうにやる人間が一定数いるが、これも分らないことではない。ゲーム感覚でもあるし、内定が何個かもらえれば満たされるだろう。でも僕は邪魔なだけで楽しいものとは思わなかったな。エントリーシートを書くのは初めの頃は面倒だったけれどでも別に慣れてしまえば最初に書いたのを改変すればいいだけだったから、やはり一番邪魔だったのは面接と来年から僕も社会人になるのだという諦念。一次面接で落とされたときもあったけれど30分で何が分るんだという気持ちより、人事は僕のことよく見抜いたなあという感嘆の方が大きかった。就活なんてそれほど大したことじゃないと思ってたから落ちてもほとんど他人事のように思えた。大したことというのは理屈では分るけども、納得はしてなかった。緊張してないのは可愛げがないかなあと思ってわざと緊張しているような振りもしたけどそれが災いして落ちたこともあった。3月に内定が出そうなチャンスがあった。面接官は若手と中堅の二人だった。若手の方は喋らず、後学のためにいるようだった。中堅の社員の方はガタイがよく、おそらく学生時代はラグビーか何かをやっていそうな人だった。いるだけで存在感がありそうな人間で、僕の苦手な人間だったから見るなり気分が萎えてしまった。こいつは多分結婚していて、二人ぐらい娘がいそうだ、休日はまだ小学生に入ったばかりの長女と過ごすのだろう、水族館に行ったりして夕方は買い物して帰るのだろう、奥さんは女らしい見た目をしていて多分この人のガタイが気に入ったんだろうなどと面接中に考えてしまって面接自体は一問一答になった。就活で面白いもののひとつに逆質問というものがある。面接の最後にこちらから質問をする時間がとられるのが通例で、これは逆質問と呼ばれている。この時間も面接の一部で質問内容で意欲を見せることが必要らしい。そこで多くの就活性はおそらく全員似たような質問をするわけだが、それを思うと人事もいちいち丁寧に答えているのはすごいなあと感じる。例えば検索にかければすぐわかるような質問をする人間もいるわけだが、そう言わずにちゃんと答えるのはかなり精神力を要するものではないだろうか。もちろんそういったことを質問をすることが無意味だとは言わない。実際に会話の中で聞けば内容が同じだとしても感じ方は違うものだということは僕だって分っているつもりである。はじめからおわりまでずっと逆質問をしてくださいといった面接も意外とあるが、30分のうち15分過ぎたくらいで質問が思い浮かばなくなったことがあった。逆質問は関心を持っているかどうかを比較的見抜きやすい形式だと思うけれども、関心のなさが如実に出たものだった。就活はある意味で客観性を以て自分の人間性の一部を伝えられるものだと捉えることもでき、僕は少しおかしな人間で噛み合わない人間だということを教えられるのである。こういう僕は社会と疎遠になっていくだろう。